hakusangogo

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切りそろえられる木のように

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 私たちは、自由に生きているつもりですけど、そんなに自由ではなくて、あれこれと規制を受けて生きていたような気がします。

 

 改めて、自分たちは誰かに、または社会に守られて? 見られて? 認められながら生きていたのかもしれないな、と思います。

 

 それは面倒なことであり、うっとうしいことであり、ムカツクことであり、何とかして欲しいことでもありました。

 

 でも、「うっとうしいんだよ」とは言わないで、我慢したり、気づかないふりしたり、感謝したり、「何か、いつか役に立つかもしれない、まあ、これも社会の勉強の一つだ」と自分に言い聞かせて、日々を過ごしている気がします。

 

 でも、できたら、自由に、やりたいように、自分らしく伸びたいけれど、でも、それは楽なことではないようです。

 

 私がこっそり気に入ってたイチョウの木、誰にも負けないで山の北側でのびのびして立っているなと思ってたのに、台風が来たらてっぺんがバッキリと折れてたことがありました。二年くらい前かな。

 

 自然でさえ、自由に伸びるということを許してくれませんでした。台風は許してくれても、そのうち雷が落ちたかもしれないし、みんなから頭一つ飛び出るということは、それだけまわりから厳しい扱いを受けるということなんでしょうか。

 

 そのイチョウの木は、オーナーさんが根元から切り倒してしまいました。あとにはポッカリ空間が空いてしまいました。

 

 やがては、その空間も他の木々が埋めていくことでしょうけど、時間はかかります。

 

 目立ったら、それなりに厳しい目を見る。でも、何となく自己主張したくなる。でも、それに命をかけてるわけでもなかった。……、そして、私たちは折り合いを付けながらの自己主張を続けていくんでしょうね。

 

 せめて、自然がダメだというまでは、のびのび育ちたい。自然が怒って、風が吹いたり、雷が落ちたりしたら、それは仕方がないけど、無理矢理、人間の都合で小さくされるのは、何だかイヤだなと思います。

 

 まわりに合わせながら、自己主張していきましょう。なるべく自然に、人間たちを無視できるときは無視をして、無視できないときは言うことを聞いて、バランスを取りつつ生きていきましょう。

 

 不自然に切られるのではなくて、ある程度納得しながら、まわりに合わせて、うまく生きていきましょう。難しいけど、何事も勉強なのかな……。