HくんはM県の山奥に住んでいます。写真は彼のおうちの近くの駅です。
Hくんは高校2年が始まる3月に転校してきました。それまでは大阪の池田というところに住んでいたそうです。
池田というと、おいしいうどん屋さんがあったり、阪急電鉄の創業者・小林一三さんのコレクションを展示している逸翁美術館とか、何回か遊びに行った五月山公園がありました。
うどん屋さんのことは、若い人に話しても通じないかなと話さなかったけれど、五月山は彼の遊び場だったそうです。それを聞いて、もう少し深く突っ込めたらよかったけれど、あまり詳しく覚えていなくて、それですぐ話は途切れてしまいました。
彼は、おうちの関係でお母さんの実家で暮らすことになりました。お父さんはどうしているのか、そういうことは話しません。あれこれ家のことを訊ねるのは、よくないし、それを聞いてもどうにもなりません。
だから、とりあえず彼がいて、未来に向かって進んでいく。
4月から、彼は大阪で学生生活を始めることになっています。もう未来はどんど開けていくでしょう。
彼に一度質問したことがあります。
「大阪に行ったら、やがてはこちらに帰ってくる?」
そうしたら、彼は、
「いや、もどってきません。だから、クルマの免許も取りません。」
とキッパリ答えてくれました。
そうなのか。家族はこちらにいるけれど、自分の未来は大阪で切り開くつもりなのか。それも一つの人生なのかな。彼には大阪でふるさとであって、M県の山奥は、たまたま母の実家として2年間は過ごしたけれど、長期休暇に訪ねるところであって、一生住むところではない、そう思っているのか。
若いのに、いろいろ考えることがあるんですね。
彼は、そのまま大阪の人になるのか(たぶん、そうなるのかも)、それともお母さんの住む山奥の町で暮らすことになるのか、それはわかりません。すべて本人が決めることでしょう。新しいパートナーが見つかったら、その人と一緒に考えなくてはならないかもしれない。
大切なのは、本人がどうしたいか、ということなんでしょう。
他人のことみたいにして書きましたけど、実は私も関係があります。
私は大阪育ちのM県人です。30年近くM県に住んでいるけれど、あとどれくらいここで暮らすのか、それともどこかへ行くのか。あまり決まっていません。家はM県にあるので、そこを根拠地として暮らすでしょうけど、肝心の生活の根拠が見つからなくて、何をしていくべきか、問われているような気がします。
何も考えないと、そのままだらしなく暮らすことになります。何か、ある意志を持って生きていくとなると、きっかけが必要です。
ふるさとはどこなのか?
それは、本人の遺志に依ります。本人がここで生きていくのだと決めたら、そのままそこでの暮らしがあるでしょう。そこがその人のふるさとになります。
私のふるさとはどこなのか?
決まっているようで、まだ決まっていないのです。