hakusangogo

生徒の作品を掲載します! どうぞ、よろしく

改めて「ありがとう」を言う

ありがとうを言おう   HT  2017

 

 今までの私は、相手の気持ちより自分の気持ちばかりで、全然相手のことなど考えようとしなかった。けれど、高校に入って、いろんな人と会って、しゃべっているうちに、これをしたら相手はどう思うだろうか、こうしたら喜んでくれるかなと相手のことを考えるようになった。

 

 今までは特に必要を感じなかったことでも、とてもあたたかいものなんだってことがわかった。自分が相手の気持ちを考えるように、相手も自分のことを理解して考えてくれるんだ、そういうことがどれだけ大事なことか、今までの自分ではわかっていなかったことが少しずつ分かってきた。

 

 ありがとうって言葉も、相手がいるから言える言葉だし、自分でも人からありがとうって言ってもらえるように、誰かに何かをしてあげたくなった。

 

 今と昔を比べたら、相手の気持ちを考えられるようになったと思うから、これからも気持ちを大切にしていきたいと思った。私は高校に入って成長したんだなと思う。これからもたくさん成長していきたい。

 

オレの野球人生 2017

 

★ オレの野球人生  SK  2017

 

 自分は野球をやっていて、小学1年から今まで約10年間やってきている。始めたきっかけはわからない。小学校、中学校、高校と野球をやって、高校野球が一番楽しいと思う。なぜなら、甲子園というはっきりとした目標があり、その目標に向かって思いきり練習ができているからだと思う。

 

 自分が一番影響を受けたのが、元巨人軍の鈴木選手である。代走時の盗塁成功率が80%を越える俊足の持ち主です。鈴木選手の走塁を見て、自分もこのような走塁ができる選手になりたいと思い、日々練習している。この練習がすごく楽しい。

 

 自分はこれからも野球を続けて、鈴木選手のような選手に一歩でも近づけるように努力したい。なので、残りの高校野球を全力で行い、勉強もしっかりして、大学に進学して、大学野球で上をめざしてがんばりたい。大学で自主練習などをして、よりいい野球選手になりたいと思う。

 

 これからの学校生活では、後輩に見られて恥をかくような行動ではなく、尊敬されるような生徒になりたいと思う。

 

★ 2023年のドラマではエキストラとして出ていたみたいです。元気そうで何よりです。そして、居酒屋では先生たちに礼儀正しくふるまってるそうです。大したもんだ。

しあわせ、って何だろうね?

 

今の高校生に「しあわせ」とは何ですか? なんていう質問をしてみました。

 

ナンセンスでしたね。そんなに「しあわせ」を感じること、あるんだろうか?

 

たっぷり寝られたり、楽しい人間関係が作れたり、お金がある程度あったり、不安がなかったり、ゴハンがおいしかったり、そんなことがあれば、「しあわせ」なんじゃないですか!

 

特に今の世の中は、不安定だし、世界は平和ではないし、地球環境は悪化しているし、何もかもうまくいかない気がしますもんね。

 

だから、とりあえず、自分に被害をもたらす人がいないだけでしあわせかもしれない。

 

 

何もかも手に入れたと思われた大谷翔平さんだって、何十億というお金を、信頼していた人から奪われたんですから、もう何も信じられなくなったことでしょう。

 

だから、とりあえず、人間関係でイヤなことがないと思えたら、何もトラブルが起きなかったら、それでしあわせだと思うしかないのかもしれない。

 

いや、そもそも「しあわせ」を求める気持ちが間違っていて、当たり前の日々を、当たり前に過ごしていけばそれでいいのかもしれない。

 

でも、人間って、何も考えないとボンヤリしてしまうから、時々は立ち止まって、「今はしあわせか?」「何かイヤなことはないか?」「誰と一緒にいたら楽しいか?」あれこれ考えなきゃいけないと思います。

 

そして、改めて、「ああ、これはしあわせだ」とかみしめなきゃいけない。

そんな風に私たちは生きるように道はできているんでしょうね。その度に、「しあわせだ」「不幸せだ」なんて判断しなきゃいけない。でも、「不幸せだ」と思ってたことが、とても充実してたんだという時もあるだろうから、すべてを「ありがたく、貴重な時間だ」と感じて生きていくのがいいのかな。

何もかもうまくいくわけはないよな!

 

 韓国でも大谷くんフィーバーが起こったような雰囲気でした。日本のマスコミも、明るい話題は大谷くんだ! と飛ぶようにソウルに群がったと思いますが、びっくりしたことか、あの明るくふるまっていた通訳さんが、数億円も使い込み、すべて大谷くんのお金をギャンブルに使ってたなんて!

 

 人は信頼しすぎると、こんな風に仲間からも足をすくわれることがあるようです。そして、通訳の人も、当たり前のように仕事をこなしているように見えて、実は、

「コイツ、何億も儲けやがって、オレにもそのいくらかを使わせろ! 数億円なんて、お前の給料の何十分の一にもならないぜ。ザマーミロ」

なんて思ってたのかもしれないし、ただのギャンブル依存症で、おぼれる者はワラをもつかむというから、単純にやりたいことをするため、手段を選ばなかっただけかもしれない。

 

 でも、人を裏切ったことは確かで、彼はこれからずっとマイナスの生活を送らねばならないし、借りは返さなくてはならない。借りっぱなしはやはりいけないと思う。そうでなきゃ、人生は動き出さないよ。

 

 

 人間って、やはり、怖い生きものなんだ。どんなことをしでかすのか、悪い意味も、いい意味もあるけど、とんでもないことをしてしまうのが人間なんだ。もう毎日そんなニュースばかり与えられている。どんなエライ人も、とんでもないウソをついているし、平気で「攻撃命令」つまり人の命を奪うことをOKと言ってしまう政治家だっている。

 

 見ていて信じられないけど、あれはそういうことだ。いつか、それは罪を問われると思うけど、問われたときにはヤツらはこの世にいないかもしれない。なんてずるいんだろう。逃げ切ったら勝ちなのかよ? それを許していいんだろうか? 何とかしたいんだけど、なかなか難しい。

 

昔の仲間たちとほんのひと時

 この前のお休みの前の日、昔の仲間たちが集結しました。Y先生がご退職されて、それをねぎらう意味と、久しぶりにみんなに会いたい気持ちとで、とある町のお寿司屋さんに集結しました。28人くらいの人が集まりました。

 

 みんな新しいところで、自分の仕事を見つけてやっておられます。出世された人がいたり、結婚されたとがいたり、二人目のお子さんが生まれてお仕事を休んでおられる人がいたり、この数年、ということはコロナ期間のあいだに、みんなそれぞれの変化があったようでした。

 

 私は、「あまり、変わってない」とか、「先生、服を買ってないでしょう? 昔のまんまの服ですね」なんて言われてしまう。確かに、グサリと刺さりました。まともに服も買ってなかった。お仕事をしているのに、服も買わずにやってるなんて、ずっと何年も同じ服ばかり着ているなんて! 反省して、また新しい服でも買いましょう。

 

 まあ、私の服なんてどうでもいいんです。みんな、変わってなかった。でも、頭が薄くなったり(これは私)、頭が白くなったり、少しお肌が衰えたり、そりゃ、いろいろ年は降り積もってきますね。

 

 そんなこんなでうれしかったのだけれど、二次会にも行かず、歩いて家まで帰りました。最近は寒いし、風の強い日が多かったのに、この日の夜は、風も吹かず、気温も厳しくなくて、のんびり家まで帰ることができました。そんなにしんどくなかった。お酒もそんなに飲まなかったし、昔みたいにバカ食いすることもありませんでした。

 

 ほらね、私もそれなりに年を取ったし、ヨボヨボになってますよ。でも、仲間に会えたら、元気が出るだなんて、信じられないね。でも、そんなもんなんだよな。

 

 そういゃ、その少し前に2019年の春に卒業した子が、会社で人事のイベントも任されてやっていて、うちの学校にも来てくれて、私みたいなものにも声を掛けてくれました。これまたうれしかったし、24歳で二人のお子さんの母親だけど、お仕事もバッチリやってると聞いて、これまたビックリでしたよ。

 

 そういうこともあるみたい。

 

 

 でもね、やはり私たちは何となく2018年の夏を引きずって生きている気がしました。やはり、私たちには大きな出来事でした。たぶん、一生の宝物なのだと思います。ありがたいことでした。

 

 そんな大きな出来事でなくてもいいから、毎日楽しければいいな。今日は、お買い物に少し出ただけでした。お休みですから、のんびりしていました。でも、明日はどこかに行きたいな。

 

LINEの恐怖

 かなり昔の卒業生です。今では三十近くになっているでしようか。

 

 当時は、ラインというのが一種の恐怖であったようで、ラインが来る音でみんなドキッとしたそうです。昔はいちいち「ライン」「ライン」とうるさかったようです。

 

 昔、スマホも持っていない私は、よくわからないものに今の若い人たちはとらわれているなと思っていました。

 

 今では、ラインも使わせてもらう立場になりましたが、うれしいことにラインも静かになってくれました。こんなだったら、ラインの恐怖はないのかなあ。いや、人によっては新しい恐怖が生まれているかもしれません。

 

 スマホのない世界で、のんびりとおだやかに暮らしていけたらいいなあ。あまりスマホに頼らず、自分の感性を磨けたらいいけど、それもあやしいですね。みなさま、花粉でしんどい時期ですけど、どうぞ、お元気で!

父が住んでた街あたり

 

 もう何十年も前、私も生まれてないし、日本が戦争をしていたのかどうか、たぶん、それは終わってたのかな。

 

 そういう時代に、カゴシマから都会に出ていた父が、この街あたりに住んでいたということでした。あれこれ説明はしてくれたんですが、イマイチわかっていなかった。

 

 どうしてそんなところに住んでいたの? そのころどんな仕事してたの? お母さんとはどんな風に出会ったの? もっともっと聞いておけばよかったことがたくさんありました。市電も走っていたと思われますが、そんなところで父は何を目標に生きていたんだろう。

 

 戦争は終わっていたんですよ。父は、日本のゼロ戦アメリカの飛行機に撃ち落とされるのも見たことがあった、というのを聞かせてもらったことがあります。

 

 そういう時代を乗り越えて、やっと平和が来たけれど、みんなが貧しい、産業もさっぱりの、未来が見えない日本で何をめざして生きていたんだろうな。

 

 あらためて、父とお話しできたらいいんだけど、残念ながら父はこの世にはいません。反省は尽きないですけど、改めて何かを話しをすることって、誰かの力がないと進まないものでした。

 

 全く何も知らない存在の人が、「どうして?」と立ち向かってくれると、そこから突破口が開かれるものですが、父にだれかが「どうして?」と質問してくれませんでした。質問があると、次から次と閉まってたドアが開かれるのだけれど、なかなか自分では開けられないようです。

 

 みなさま、もしよければ、まわりの人に、どんどん「それはどうして?」と聞いてください。面倒な場合もあるけど、素直に聞いてくれたら、何だか話ができそうな気がします。そういう突破する力は、若い人にしかありません。どうぞ、その突破力を生かして、いろんな壁を突き破ってくださいませ。どうぞ、よろしくお願いします。