いよいよカッパの話が始まります!
「日の出湯の新ちゃんらの孫ばあさんのつれ合いはのう、尾鷲の相賀(あいが)から来た人じゃったが……」と、何を思い出してか老人は近所の少年たちを相手に、こんな風に話し出す。
「その日の出湯のお爺さんやのう、カンカラコボシをよう使う人でのう……」
カンカラコボシ(河原)というのはカッパをいう方言であるが、ボシ(法師)はここではすべて人間を呼ぶ蔑称(べっしょう)であるが、カッパにも、とにかく人格を賦与(ふよ)している。そのはずで、彼らは災害をもたらすばかりではなく、ここでは時に人間の手助けをもするというのである。
カッパは全国にも存在するものとされ、なぜか当世の人気者になっているが、人間に使われるカッパの話は熊野のほかにはあまりないらしい。
「カンカラコボシを呼び出すには法があって、先ず浜に立ちからっぽの飯びつのぐるりを、内部から杓子でカラカラとかきまわして音を聞かせ、さておひつのふちをたたいて呼び出す。そのたたき方に法があるのじゃと」
老人は片腕に飯びつを抱いた形で片手をくるくるかきまわす手ぶりをして見せながらこんなことを言う。
汀(みぎわ)からはい出して来て足もとに土下座しているカンカラコボシに海を指すと、ヤッコめ海の中へもぐって行って鮑(あわび)を差し出したり、てんぐさを両脇にかかえて浮かび出したりする。そのたんびに赤豆飯をちょっぴりひとつまみずつくれてやる。カンカラコボシはとても赤豆飯をちょっぴりひとつまみずつくれてやる。カンカラコボシはとても赤豆飯が好きじゃゆえ、もっと食べたさにあわびやてんぐさを山盛りに採るのじゃ。川のカンカラコボシを呼び出して畑で使うのを見た人もあるんじゃげ。カンカラコボシはおとなしくよく働くものじゃと感心していた。
「日の出湯の新ちゃんらの孫ばあさんのつれ合いはのう、尾鷲の相賀(あいが)から来た人じゃったが……」と、何を思い出してか老人は近所の少年たちを相手に、こんな風に話し出す。
「その日の出湯のお爺さんやのう、カンカラコボシをよう使う人でのう……」
カンカラコボシ(河原)というのはカッパをいう方言であるが、ボシ(法師)はここではすべて人間を呼ぶ蔑称(べっしょう)であるが、カッパにも、とにかく人格を賦与(ふよ)している。そのはずで、彼らは災害をもたらすばかりではなく、ここでは時に人間の手助けをもするというのである。
カッパは全国にも存在するものとされ、なぜか当世の人気者になっているが、人間に使われるカッパの話は熊野のほかにはあまりないらしい。
「カンカラコボシを呼び出すには法があって、先ず浜に立ちからっぽの飯びつのぐるりを、内部から杓子でカラカラとかきまわして音を聞かせ、さておひつのふちをたたいて呼び出す。そのたたき方に法があるのじゃと」
老人は片腕に飯びつを抱いた形で片手をくるくるかきまわす手ぶりをして見せながらこんなことを言う。
汀(みぎわ)からはい出して来て足もとに土下座しているカンカラコボシに海を指すと、ヤッコめ海の中へもぐって行って鮑(あわび)を差し出したり、てんぐさを両脇にかかえて浮かび出したりする。そのたんびに赤豆飯をちょっぴりひとつまみずつくれてやる。カンカラコボシはとても赤豆飯をちょっぴりひとつまみずつくれてやる。カンカラコボシはとても赤豆飯が好きじゃゆえ、もっと食べたさにあわびやてんぐさを山盛りに採るのじゃ。川のカンカラコボシを呼び出して畑で使うのを見た人もあるんじゃげ。カンカラコボシはおとなしくよく働くものじゃと感心していた。
文中にもありますが、カッパをこき使うのは熊野地方独特かもしれません。カッパを手下にするなんて、熊野の人々もよくやりますね。まあ、普通に見える人たちも、何か普通以上の何か特殊能力を持っているのかもしれません。ただ、それが熊野以外の地方ではあまり目立たないかもしれませんけど、とにかく暗闇でキラリと光る何かを持っているのでしょう。
少年たちは半信半疑で、しかし好奇の目を見張って聞き入った。老人もそれだけで十分満足なのである。
この地方にはカンカラコボシが海にも川にも多い。ということは海や川で働く人が多く、また子供たちは海や川の外に遊び場がないために、水死人が多いということであろう。
そんなに沢山のカンカラコボシがいる理由についてもまた説明がある。そもそもカンカラコボシは疫病神(やくびょうがみ)の生まれ変わりなのである。疫病(えきびょう)やみが出ると、土地ではヤンゴロ(怨霊)船を仕立て、竹法螺(たけほら)を吹いて町内を歩き回る。竹法螺を聞いた住民たちは手に手に疫病神を家から追放する。疫病神は行方がなくなってヤンゴロ船へ逃げ込む。だからはじめは軽かったヤンゴロ船も、町中を歩くうちに刻々に逃げ込んだ疫病神のために、刻々に重くなりゆき、もはや船一杯になったと思われるところでこれを海岸に持って来て流す。流されたヤンゴロ船は潮流の関係で岩本という岸に流れ寄る。だから岩本の付近にはカンカラコボシが多いと言われるのである。————つまりは水死人の多い魔の地点なので。
少年たちは半信半疑で、しかし好奇の目を見張って聞き入った。老人もそれだけで十分満足なのである。
この地方にはカンカラコボシが海にも川にも多い。ということは海や川で働く人が多く、また子供たちは海や川の外に遊び場がないために、水死人が多いということであろう。
そんなに沢山のカンカラコボシがいる理由についてもまた説明がある。そもそもカンカラコボシは疫病神(やくびょうがみ)の生まれ変わりなのである。疫病(えきびょう)やみが出ると、土地ではヤンゴロ(怨霊)船を仕立て、竹法螺(たけほら)を吹いて町内を歩き回る。竹法螺を聞いた住民たちは手に手に疫病神を家から追放する。疫病神は行方がなくなってヤンゴロ船へ逃げ込む。だからはじめは軽かったヤンゴロ船も、町中を歩くうちに刻々に逃げ込んだ疫病神のために、刻々に重くなりゆき、もはや船一杯になったと思われるところでこれを海岸に持って来て流す。流されたヤンゴロ船は潮流の関係で岩本という岸に流れ寄る。だから岩本の付近にはカンカラコボシが多いと言われるのである。————つまりは水死人の多い魔の地点なので。

伝染病が町で出たら、邪気を集める船を町中を練り歩かせ、ずっしりと集まったところで海に流すと、それが岩本というところに流れ着くそうです。そのような潮流になっているのでしょうね。そこにはいろんなものがたまるから、カッパ、つまり水の精みたいなのがあるとしてみたくて、自然と物語が生まれてくるのでしょうね。
長嶋町の江の浦湾外の海上二十キロばかりの地点にある島勝浦の白浦には、大白さんと呼ばれて九十九段の高い石段を持ったお宮がある。神体は黄金色に輝いた流木の大株だというが、もと九鬼の浜に流れ寄っていたのを浦人があまり大きいのを邪魔がって満潮を見て肥えびしゃくの柄で突き流したのが、再びこの白浦へ流れ寄ったのを白浦では神異として祭った。
八月二十一日(であったか)のここの祭日には付近一帯のカンカラコボシが日ごろ取っておいた人間の胆を大白さんに献納する日になっている。それゆえ、当日はこの地方では一切水泳を禁止している。というわけは日ごろ蓄えのなかったカンカラコボシは大白さんに納入の胆を得ようと気をもんで人の来るのを待ち構えているから、当日水に入ると納入の用意のないカンカラコボシに得たり畏しとばかりしてやられるというのである。大白さんの祭日はいわばカンカラコボシの納税日らしい。しからば黄金の流木はカンカラコボシ王の枯骨と見立てられたのでもあろうか。
いやしくもこれだけ堂々たる神社まで持っているカンカラコボシが、一つまみの赤豆飯に節を屈して人間の奴隷となる例外はあるとしても、決してそれが本領でないことは申すまでもなく、もちろんよそのカッパ並みのわるさをすればこそ疫病神の再来とも言われるわけなのである。

カッパは、赤飯を食べたくて人間に使われることもあるし、疫病神の化身として怖れられたり、人間のレバーを盗み取ろうとする恐ろしい存在でもあるそうです。てっきり、しりっこ玉を取るのが専門だと思っていましたが、他の仕事もあったそうです。
このカッパと人間のドラマは、次の機会にします。今日は、熊野のカッパの変なキャラの紹介でした。

こうして、佐藤春夫さんを初めて読んでいます。こんな作家だったのかと、少し見直しています。でも、熊野以外の人には、つまらない作家さんなのかなあ。サンマはうまいかしっょぱいか、とか言ってるだけではダメなんですね。もっと毒がないといけないのかもしれない。または、もっとローカル化して、徹底的に熊野にこだわる中上健次さんの親玉になるとか、そういう手もありましたね。
でも、おしゃれなおうちを建てて、大学で文学などを講義して、時々物語を書く人だったのかなあ。もっと熊野にこだわればよかったかもしれない。

