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「何故」

 

★ 「何故」          男子

 生きる意味などわからなかった。今でもわからない。「わがままを言うな」と言われたら「どの口が言ってんだ」と反論したかったが、燃料を投下するのは嫌なので、心のなかで思っていた。というのも一番のわがままは私の許可もなくこの世に「私」という存在を作った親なのではないかと思ってしまう。

 

 親は無責任だ。自分の子供が小さなダメージを何回にもわたって受ける可能性が非常に高いのにも関わらず、大きな幸せは自分で探し出せというスタイル。婚約相手には幸せを誓うくせに、子供は幸せにできない。勿論、きちんと育てないと、動物みたいになってしまうのはわかる。

 

 しかし、それでも「ニートは家から出ていけ。」と言う。この文化はおかしくないかと私は思う。このようなことを反出生主義と呼ぶらしいが、私は違う。人一人を活かすためにはそれ相応の考えや覚悟、お金がなければならないと思う。大体の大人はそれを得た気持ちになっているが、実際には気持ちを優先しているだけ、気持ちだけだということがおかしいと言っているわけだ。

 

 私は将来的には自立したいと思っている。親と特別仲がいいというわけではないからだ。親の力を借りずに一人でコソコソ生きていたい。だからこそ私は今のうちに働いてこれを普通にしたい。私が普通科の高校に進学したのもこれが理由だ。普通科の高校に進学しても学んだことを使うのはごく一部だけだと考えれば、私の選んだ学校が「底辺高校」だと言われても何も傷つかない。むしろ周りに流されるだけ流されて、何も成果が得られない人に比べればまだマシだろう。

 

 「大学に行くのが普通」みたいな風潮があるが、実際は中学まで行くのが普通で、高校からは自由のはずだ。学びたいものだけが学ぶわけだ。頭だけなら「成人」していると言えなくもない。

 

 こうなってくると成人がなにかわからなくなってくる。「成人」ってなんだろう。私はこう考えた。義務教育を受けて体が成長したら成人と言えるのではないかと思う。というのも、人として「正しい判断ができる」ようになったら成人にしてしまうと、9割の人間が一生かけて成人していくというふうになってしまう。体ができあがったら成人にしてしまうと、もともと病弱な人は成人しないまま終りを迎えてしまうかもしれない。18で成人という条件のもと成人とは何かを考えると、どうしてもこのような感じになってしまった。

 

 しかし、正直なところ、年齢で成人を決めるのは少しおかしいと思ってしまう。「人が完成する」と書いて「成人」なのに、基準が年齢で良いのだろうか。私にはわからない。

 

#エッセイ#生まれる