hakusangogo

生徒の作品を掲載します! どうぞ、よろしく

美術室の窓から

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 窓に、こんな不思議な絵が貼り付けてあります。誰が、どんな思いで、何を描いたのか、まるで見当もつきません。

 

 でも、とりあえず面白いと思います。

 なかなかステキな絵じゃないかな。パジャマなのか、着ぐるみなのか、とにかく何かをかぶっているみたいです。

 

さて、短歌です。

 

  昼下がりさえずる小鳥の子守歌 秋風とともに襲う睡魔よ    男子

 

 彼は美術部のエースでした。バスケット部にも所属した彼は文化祭で大活躍したり、スタイリッシュな絵を描いたり、いろいろ活躍しているうちに芸術系の道に進んでいきました。

 

 短歌でもいろいろと活躍してくれたけれど、この歌も上手にまとまっています。でも、彼らしいワイルドかつ繊細な感じは出せていないですね。

 

 小鳥の歌が子守歌になったよ、というのが、読む人に驚きを与えにくくなっているんでしょうか。ことばで人をビックリさせることって、なかなか難しいのです。

 

 私にもアイデアはありません。ただ、彼の上手な世界に何か足りないけど、何がいいのか、それが私にもわからないのです。

 

 上の句はわりといいリズムだから、下の句で寝てしまわずに、何か彼らしくはじけてくれたら、おもしろかったのかもしれません。

 

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甲子園メンバーの修学旅行

 

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★ 2018年2月の沖縄への旅を歌にしてもらいました。番号は背番号です。

 

国際通りソウルナンバー買わされて信じるかは自分次第     3

 ソウルナンバーって、何でしょうね。国際通りで何だか怪しいものを買ったんですか。


沖縄の海はきれいで貝がらたくさん見つけたよ         5

 本当に彼は、そんな乙女チックなことをしたのでしょうか。してもしなくても、素朴な遊びを取り上げたようです。ザンネンながら五七五七七にはなっていない。


最終日国際通りの買い物でみんなで買ったソウルナンバー    11

 彼は丁寧な仕事はするし、前向きだし、控えめだし、出しゃばったことは絶対しません。みんながやることなら、仲良くみんなでやっていきます。ただ、付和雷同するところがあって、ソウルナンバーを買ったようです。


沖縄の修学旅行飛行機だ往きは緊張帰りはリラックス      2

 丁寧な彼は、作品もしっかり始めと終わりがしっかりまとまっています。


沖縄で半袖一枚暑かった                   14

 彼はおもしろい作品を書ける人でしたが、この時は不調だったのかなあ。


テスト中がんばることよ、ねむ気から終わったあとに後悔します 18

 彼はいろんな作品で反省したり、スローガンを掲げたり、気持ちが先行して行動がずれてしまうことがあったのかもしれません。人生は長いのだから、少しずつ思いと行動をシンクロさせて、いい生き方をしてもらわなくちゃ!

 

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名松線の一句 春

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 昨冬の「名松線の一句」募集に参加した作品です。

とりあえず春っぽいかなというのを取り上げました。

 

ドアを開け桜とともに乗車する               女子

 彼女はセンスのいい子です。クラブでも活躍しました。彼女ももう3年生。進路を決める夏になりました。来週からは履歴書書きと面接練習で忙しくなるでしょうね。

 

ゆったりと動く車両の憩いかな               女子

 一志駅から乗ってくる彼女。駅までは自転車こいでギコギコです。長い橋を渡って、駅までたどりつくのだろうけど、風に吹かれたり、雨に打たれたり、通学は大変だっただろうな。


名松線おもちゃみたいで面白い                                     女子

 彼女は近鉄で通ってたはずだから、乗ったことはあるんだろうか。何回かは乗ったり、車両を見たりしたんでしょう。まさにその通り。一両だけトコトコと、こんな風に走っているのかという感じです。季語を入れて欲しかったなあ。



眠たさも急に揺れたらなるなるな               女子

 「なるなるな」は書き間違えなんだろうか。もう少し意味のあるように書いてもらいたいんだけど、何となく雰囲気は伝わります。揺られたせいで目が覚めたということなんじゃないかな。

 

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hakusangogo! 甲子園に行きました!

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 長かった二週間、とうとう私たちは甲子園にたどり着きました。うれしいのか、疲れているのか、暑いのか……。とにかく駐車場からの20分くらいは長くて暑かった。なかなかたどりつけないし、日ざしはきついし……。

 

 私は忘れ物をとりにバスまで二往復したから、二倍の暑さでしたっけ。

 でも、二回目の道は、あちらこちらを見る余裕があって、それなりに楽しんで歩きました。やはり、暑くても、アドレナリンが出ていると歩けました。

 

 スタンドに入るまでにかなり待たされました。それから狭い通路を通ってやっとスタンドに出ました。私たちの前には同じ緑の報徳学園が競り勝っていた。やっとだだっ広い空間に放り出されてみたら、何だかポカンとしてしまいます。

 

 さあ、アルプススタンドはものすごい緑で、田舎町の素朴な集団がみんな「下克上」を背中にしょって集まりました。

 

 派手な演出も、チアリーダーも、いろんな曲を披露するブラスバンドもありません。でも、地元の人々・二つの中学校など、みんなが連合チームを作り、演奏しています。

 

 素朴にみんなで応援するだけです。とにかく、二週間待たされた後、私たちは甲子園のスタンドにいるのです。

 

 すごいじゃないですか。来ている生徒は二百あまり。あとはすべて応援しようと緑を着て集まったみなさんたちです。こんなにたくさんの方々に支えられているのです。

 そりゃ、普段はみなさんそれぞれ忙しいのだけれど、こういう時にはちゃんと集まってくださっている。

 

 わざわざ西宮の甲子園まで、いろんなところから駆けつけてくれた人々がみんなギッシリと座って応援してくれています。

 

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 あれ、普通は名前を呼ばなきゃいけないから、名前のボードがあるはずじゃないの?

 

 そうなんです。なんと学校の応援団は、この日バスに積まねばならない名前ボードを忘れたそうです。

 

 なんという不手際! でも、もうそんなの関係ない感じで、みんなが野球部と生徒の声に合わせてくれて、生徒も大人も渾然一体になっています。みんなが一緒に声を合わせられたら、スケールアップしたブラスバンドと一緒になってだんだん一つになっていきました。

 

 

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 二週間前の四日市から、西宮の甲子園の夕方の空まで、とうとう私たちはつながってきました。さあ、ぜひのびのびやってもらいたい!

 

 

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 試合は、初回に3失点して、それからしばらくは落ち着いて、ここでこちらが何点か返していくと、試合がもつれるはずでした。でも、相手に大量得点の機会を与えてしまい、0-8というスコアになりました。

 

 それでも、7回、8回と自分たちの応援の場面になると、大盛り上がりで応援しました。外野のお客さんも大差がついても誰も帰ろうとはしません。

 

 そして、試合は8回ウラに2失点して、0-10になりました。試合はそのままキャプテンが最後の打席で一塁にヘッドスライディングして終わってしまいました。

 

 一気に甲子園1勝までにはたどりつきませんでした。ザンネンでした。

 

 でも、お人好しというのか、だれかを讃えたい気分だったのか、みんなが相手校の校歌の時に手拍子して、「あれ、違うな」と思いつつも、何だかみんなが素朴な集団になっていると思って、これまたうれしい瞬間ではありました。

 

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 そして、私たちは深夜、やっと自分たちの家に帰ったのであります。

 

 

はっきり言ってくれた友だち

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         はっきり言ってくれた友だち
           
 私の「わたし遺産」は中学生の時にできた友達です。

 

 「その話って私にする必要ある?」とその子に言われました。当時、中学二年生でした。クラス替えをしたばかりで慣れない顔ぶれに緊張していたあの頃に、去年同じクラスだった女の子に言われたセリフです。

 

 恥ずかしいことに私は、その女の子に他の女子の悪口を言っていました。私は今まで、ここまではっきり言われたことがなかったので、とても衝撃でした。悪口が正しいとも、そんなことを考えたことがない私は、言っても仕方のないことだとこの時たぶん初めて思いました。

 

 それ以外の記憶は残っていないですが、この時に私は絶対にこの子と友達になりたいと思いました。今そんな話をその子に言うと、全く全然覚えていないと言うのです。けれども、その言葉のおかげで悪口を言うことがなくなりました。

 

 ちゃんと悪いところは悪いと言ってくれる友達が私の遺産になりました。